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はじめて書き込みさせて頂きます。
本来なら人様の掲示板でこの話題について触れることもあまり嬉しいことではないのですが、
おそれながら私の感想を“参考”と引き合いにしていただいた上でのコメントを拝見させていただきましたものですから、私の“私見”について若干補則させていただきたいと思いまして書き込みさせて頂きます。
>てら様。
私も原則的には、書籍なりそこに書かれていることに関しては読者の判断に任せるという御見解には反対ではありません。
私もてら様が竹中労氏の関連書籍紹介のページで『竹中労・無頼の哀しみ』についてお書きになられている
『特に生前の竹中労を知らないで、頼るべきは書物のみと言う人も結構います。そうした人たちにとっては、この本の記述がそのまま竹中労本人のイメージとして残ってしまうかもしれないわけで、その辺に対する危惧というものがあるのでしょう。そうなると個人的には正確な取材に基づく伝記というものを期待したいなと切に思ってしまったのですが』
という記述の「竹中労」をそのまま「竹中英太郎」に置き換えているようなことを言っているだけです。
もっとも、私は「曖昧な表現が多かった」から気にかかっているのではなく、明らかに間違いではないかと思われる記述に関してのみこだわっております。
以前は既出のものに対する反論が難しかったが、現在ではインターネットで検索をかけて調査をすることが当り前であるとお書きになられてらっしゃいますが、検索をかけただけで簡単になったとしても、その検索の結果がどういうものであるかという見極めを考えれば、その困難さはさして今も昔も変わりません。また、そうして簡単に入手できてしまう情報であればこそ、その真偽に関してはある程度情報発信するモノがその情報に責任を持つ必要もあるべきで、これはインターネットに限らず、書籍であれ、他のマスコミの情報であっても同じことだと思います。
情報の受け手にその判断を任せるのは構わないとしても、無責任な情報発信に関しては、ある程度、その情報に近い者として無関心にいるというのもあまり誉められたことでは無いように思っております。
と、いった感じであの“私見”を記述しております。
>杉山様
私も『もちろん、画家であったとしても、その評伝に必ず絵を載せなければいけないなどという決まりがあるわけでもなく、場合によってはそういった必要がないこともあるかもしれません。』と、「伝記」の書き方にはいくつかの視点があるといったことは決して否定しておりません。
しかしながら、あの書籍にかかれている情報のどこまでが正確で、どこがでたらめなのかということを意識してお読みになられた上で、
>かなり綿密な調査のもとに書かれているようです。彼は自己のことをあまり語らないので、これも重要な資料になると思います。
という感想を抱かれたのでしょうか?
これまで他の人間が書いた書籍等からの引用ばかりで、その引用に関してもほとんど検証されているとは思えないような調査を“綿密”だとは私には思えません。
なので、少しも重要だとも思えません。むしろ、あそこに書かれていることのなかで間違っていることを訂正することの方がどれだけ大変なことか。
もちろん、全てが間違いであるとは申しません。ある程度の参考程度にはなるかもしれませんという位は言ってもいいかもしれません。
あの書籍がフィクションとして書かれているのであればまだしも、生誕百年記念だとのうたい文句付きの「伝記」だというのは、いったい誰の為の「記念」であり、「伝記」というのは、書いてしまえば、事実であろうがなかろうか書いたモノ勝ちなのだろうかと訝しく思えてなりません。と、いうか、はっきり言えば、完全にあれは便乗商売でしかありません。全くうんざりさせられます。その程度のモノをあまり持ち上げすぎない方がよろしいのでは…と老婆心ながら感じております。
以前に杉山さまの御感想を拝見させていただいておりました際には、「そういう感想もあっても仕方なかろう」と傍観させていただいておりましたが、私の“私見”を引き合いに出されての御意見がありましたもので、出しゃばらさせていただきました。
はじめての書き込みでありながら、長文大変失礼致しました。
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